日露戦争の原因をわかりやすく簡単に解説



▼1400年代まで
ヨーロッパの世界侵略開始以前まとめ

▼1400~1600年代前半
スペインとポルトガルの大航海時代/信長 秀吉 家康
 -コロンブスは何をやったのか
 -アジア初の植民地・フィリピン

▼1600年代中盤
オランダの台頭/江戸幕府、鎖国政策へ

▼1600年代後半~1700年代
イギリスとフランスの時代/江戸時代の平和

▼1800年代
アヘン戦争/黒船が来航、明治維新へ

▼1894~1895年
日清戦争

▼1904~1905年
日露戦争
 -韓国併合(日韓併合)とは

▼1941〜1945年
第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)
 -太平洋戦争 年表
 -日本の「アジア侵略」の実態
 -大東亜共栄圏とは・八紘一宇とは
 -大東亜戦争と太平洋戦争の違い・名称について
 -東京裁判とは、A級戦犯は何の罪で裁かれたのか
 -子供でもわかる「日本の戦争の歴史」
 -慰安婦問題・強制連行の実態について
 -戦後70年談話(安倍談話)とは







 

▶1904〜1905年
⑦日露戦争





▼日露戦争 1904〜1905年
日清戦争に勝利した日本は、清国に、数百年ものあいだ属国として扱ってきた朝鮮から手を引かせ、朝鮮を独立国とすることに成功しました。

また、この日本の勝利は、それまで清国こそがアジアで最も力のある国であると認識していた欧米列強に衝撃を与えました。

特に衝撃を受けたのは、「アヘン戦争」以来、清国を脅かしていたイギリスと、東アジアに北から圧力をかけていたロシア、そして、この頃スペインとの戦争に勝ってフィリピン、グアムを手に入れ、さらにハワイをはじめとする太平洋の島々を領有・植民地化したアメリカの3国でした。

当時の世界情勢は、主にこの3国が覇権争いを繰り広げており、その主戦場が東南アジアと清国の領土、朝鮮半島、および日本列島でした。

そんななか、日本は清に勝つことで、清国から「アジアの大国」の座を奪うことには成功したわけですが、それでもまだ、これらの世界で植民地争いを繰り返してきた白色人種の国からは、同等の強国とはみなされておらず、植民地化の対象地域として見られており、列強の東アジアへの侵略をめぐる、さまざまな駆け引きにさらされることとなります。


とはいえ、当時の日本は、イギリス、アメリカ両国とはおおむね友好的な関係にありました。

前項で述べたとおり、日清戦争には、南下するロシアの勢力を食い止めるという大義がありましたが、このイギリス、アメリカ両国にとっても、ロシアの朝鮮半島・日本列島への勢力拡大は好ましくなく、その点においては日本と利害が一致していたのです。

つまり、日清戦争の「日本の勝利」を、イギリス、アメリカは快く受け止め、ただロシアだけが苛立ちをもって眺めていたという次第だったのです。

そしてこれ以後、ロシアの日本に対する激しい嫌がらせがはじまることになります。

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ロシアはまず日本に対し、「三国干渉」という「脅し」をかけてきました。

これは、ロシア、ドイツ、フランスの三国が、日本が日清戦争で得た清国の領土である遼東半島の領有権を放棄するよう求め、放棄しない場合は、この三国と戦争することになるという、まさに「脅し」以外の何ものでもないものでした。

遼東半島は、朝鮮半島のすぐ北にある小さな半島で、日清戦争は、日本にとってはこの半島を領有することが目的だったと言えるほど、ロシアの南下を食い止めるために地理的に重要な地域でした。

つまり、この「脅し」に屈してしまうと、日清戦争の苦労がまったく無駄になってしまうというわけです。


が、日本にはこの三国を相手に戦争をするだけの国力がありませんでしたので、泣く泣く遼東半島を放棄し、清国に返還しました。

それから、さらにロシアは、清国に対し、領土を日本から返還させてやったという恩を着せ、その遼東半島を清から租借する(借りる)という名目で手に入れ、さらに清国の領土の領有権を次々に主張してゆき、とうとう朝鮮半島のすぐ北に自国の軍を配備するまでにいたったのでした。


日本の屈辱感と危機感はピークに達しました。

そして、この状況を快く思わない国がもう一国ありました。これまで欧米諸国による植民地争奪戦をリードしてきたイギリスです。

イギリスは、このころ、世界中に広げすぎた植民地経営に苦慮していました。

ロシアの勢力拡大をこれ以上許したくなかったわけですが、直接ロシアを相手に戦争をするほどの余裕もなく、できれば自国の手を煩わせたくなかったのです。

そこでイギリスは、1900年に日本と同盟を結びます。(日英同盟)

日本はこの「日英同盟」をバックに、また友好国アメリカからも支援を受け、4年後の1904年にロシアの圧力をはね除けるべく宣戦布告します。(日露戦争)

ただし、英米の支援を受けたとはいえ、この日露戦争は非常に危険な戦争でした。

当時のロシアの国力は、前回の清国とは比べ物にならないほど強大でイギリス・アメリカに勝るとも劣らない力を持っており、また、近代的な戦争にも慣れていました。

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しかし日本は、苦戦をしいられながら、辛くもこの日露戦争に勝利します。

この勝利は、これまで欧米諸国に一方的に虐げられてきた、アメリカ大陸、アフリカ大陸、アジアの有色人種の国々が、白色人種の国との戦争ではじめて勝ち取った勝利でした。

第二次世界大戦後の日本では隠蔽される傾向にありましたが、この戦争は現在でも、はじめて有色人種の国家が白色人種の国家に勝った戦争として、特にヨーロッパ以外の有色人種の国々で語り継がれている、記念すべき戦争なのです。

これまで、約400年に渡って世界中の有色人種の国々では、人々が何の根拠もなく虐げられ、搾取され、奴隷として連れ去られるなど、まともな人間としてさえ扱われてきませんでしたが、この日露戦争の勝利は、そんな有色人種の人々に計り知れない勇気や希望を与えたのです。

■ジャワハルラール・ネルー(インドの初代首相/インド独立運動の指導者
「アジアの一国である日本の勝利は、アジアの総ての国々に大きな影響を与えた。ヨーロッパの一大強国が破れたとすれば、アジアは昔たびたびそうであったように、今でもヨーロッパを打ち破ることができるはずだ。ナショナリズムは急速に東方諸国に広がり『アジア人のアジア』の叫びが起きた。日本の勝利は、アジアにとって偉大な救いであった」

「私の子供の頃に日露戦争というものがあった。その頃のロシアは世界一の陸軍国だった。世界中は、ちっぽけな日本なんかひとたまりもなく叩き潰されると思っていた。アジア人は西洋人にはとてもかまわないと思っていたからだ。ところが戦争をしてみると、その日本が勝ったのだ。私は、自分達だって決意と努力しだいではやれない筈がないと思うようになった。そのことが今日に至るまで私の一生をインド独立に捧げることになったのだ。私にそういう決意をさせたのは日本なのだ」

■マハトマ・ガンジー
「ロシアの武力に対して、かがやかしい勝利をおさめたことを知って、感動に身震いしました。」

■バー・モウ(初代ビルマ首相)
「ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。それはわれわれにあたらしい誇りを与えてくれた。 歴史的にみれば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点とも呼べるものであった。」

■孫文(中華民国建国の父)
「日露戦争はアジア人の欧州人に対する最初の勝利であった。この日本の勝利は全アジアに影響をおよぼし、全アジア人は非常に歓喜し、きわめて大きな希望を抱くに至り、大国の圧政に苦しむ諸民族に民族独立の覚醒を与え、ナショナリズムを急速に高めた」



また、上記の中国人である孫文が、当時イギリスからの帰途、スエズ運河を通過した際に「日本勝利」の報に狂喜したエジプト人たちから日本人と間違われ、非常な歓待を受けたというエピソードもあります。


この勝利により、日本の立場はこれまでと一変します。

これまで、世界中の有色人種の国々は、1400年代の終わりにスペインやポルトガルが世界侵略を開始してからというもの、どこの国も欧米諸国の圧力をはね除けることができませんでしたが、日本は唯一それをやってのけたのです。

それにより、他の有色人種の国々のように、ほとんど植民地化されることが前提で欧米諸国の思惑に翻弄されるだけの存在ではなく、日本は欧米諸国と肩を並べ、「不平等条約」を破棄し、自国の意見を何も恐れることなく言える立場になったのでした。

しかし、そんな日本でしたが、日本の苦悩はこれで終わりではありませんでした。

それどころか、ここからが日本の本当の苦悩の始まりでした。

有色人種はただひたすら征服されるべきものと考えていた白色人種の欧米人たちは、このような日本の台頭を快く思うはずがなかったのです。





第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)



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