【太平洋戦争戦後70年】日本はアジアを侵略したのか?わかりやすく解説



▼1400年代まで
ヨーロッパの世界侵略開始以前まとめ

▼1400~1600年代前半
スペインとポルトガルの大航海時代/信長 秀吉 家康
 -コロンブスは何をやったのか
 -アジア初の植民地・フィリピン

▼1600年代中盤
オランダの台頭/江戸幕府、鎖国政策へ

▼1600年代後半~1700年代
イギリスとフランスの時代/江戸時代の平和

▼1800年代
アヘン戦争/黒船が来航、明治維新へ

▼1894~1895年
日清戦争

▼1904~1905年
日露戦争
 -韓国併合(日韓併合)とは

▼1941〜1945年
第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)
 -太平洋戦争 年表
 -日本の「アジア侵略」の実態
 -大東亜共栄圏とは・八紘一宇とは
 -大東亜戦争と太平洋戦争の違い・名称について
 -東京裁判とは、A級戦犯は何の罪で裁かれたのか
 -子供でもわかる「日本の戦争の歴史」
 -慰安婦問題・強制連行の実態について
 -戦後70年談話(安倍談話)とは







 

▶1938〜1945年
⑧第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)





▼日本は「侵略」したのか?
戦後を通じ、我々日本国民は、太平洋戦争・第二次世界大戦で「日本は身勝手にアジアの国々を侵略した」「アジアの国々に多大な迷惑をかけた」と思わされてきました。

その「日本=悪」とういイメージに最も利用されてきたのが、主に東南アジア地方での「日本軍の残虐行為」なるものでした。

この、「アジアの国々に迷惑をかけた・侵略した」というイメージ作りのために、ひたすら流され続けてきた情報は、果たしてどのていど信憑性のあるものなのでしょうか。

また、「アジアの国々」とは、いったいどこの国を指しており、それらの国にどのような形で影響を与えたのでしょうか。

日本が行った軍事行動が「侵略」にあたるかどうかは賛否両論ありますが、侵略にあたるにしろ侵略にあたらないにしろ、その内容が何よりも重要です。

つまり、日本はどこの国に対して何を行ったのか?ということです。

さらにいえば、日本が「侵略」する以前はどのような状況にあり、「侵略」以後、その状況がどのように変化したのか、ということも重要です。

このページでは、第二次世界大戦・太平洋戦争での日本軍の進攻先である、インドネシア、フィリピン、ミャンマー、マレーシア・シンガポールという国ごとに、それぞれの戦前の状況と、日本の「侵略」時代、そして、日本敗戦後の状況をわかりやすく簡単に解説しています。


▼日本の「侵略」(植民地化)の実態・真実

それではまず、各国のいきさつを見ていく前に、前提となる知識を確認しておきましょう。

上記の国々は、日本の統治下に入る以前は当然それぞれが異なる事情を抱えていました。

その相違点については以下に解説しますが、逆にこれらの国に共通している点についてふまえておきましょう。

それは、それぞれの国がすべて、欧米(イギリス、アメリカ、オランダ)の植民地に属していたという事実であり、その植民地支配からの「独立」をその国なりに模索していたという点です。

ちなみに、日本もこれらの国々と同様に独立国家としての存続を欧米諸国から脅かされていました。つまり、日本も欧米諸国に植民地化(「侵略」)される危機に曝されていました。

しかし、日本の場合にはその危険をいち早く察知して、明治維新により「近代化」を成し遂げ、これらのアジア諸国のように植民地化される前に徹底抗戦の構えをとっていました。

そうして、日清戦争、日露戦争という大きな戦争を勝ち抜きました。

特に日露戦争の勝利は、世界中で、欧米諸国の植民地支配に苦しんでいた人々に、「独立」への大きな希望を与えましたが、もちろんこれから見ていく国の人々にも同様に多大な希望を与えました。

つまり、前提としてふまえておかなければならないものは、「アジアの国々」にとって「欧米の植民地支配(侵略)から独立する」ということが、いかにそれらの人々の自由と平等を回復することであったかということ、そして、それらの人々がどれほどそれ(独立)を希求していたかということです。

そして、現在、日本を含めそれらの植民地支配の危機に曝されていた国々はすべて「独立」を勝ち得ており、欧米諸国の植民地支配は受けていないという点も押さえておきましょう。

それでは、それぞれの国の「独立」に日本がどう関わってきたのか、その真実を詳しく見ていくことにしましょう。


▼インドネシア(オランダ領東インド)の場合

戦前の状況 1600年ごろより300年間以上オランダの植民地だった
オランダ人は現地住民を、農業のみに従事させておくため、独立心を芽生えさせないように「愚民化政策」を施し、ほとんどのインドネシア人が文盲だった。また、路上で3人以上での立ち話が禁止されるなど、徹底的に現地人が団結できないように監視されていた。
米の栽培をやめさせ、オランダ人が売買するための香辛料などばかり栽培させられたため、現地人たちは飢えに苦しんでいた。
独立志向 日露戦争に影響を受け、独立運動家が活動しはじめていたが、オランダの弾圧にあい、スカルノら主要なリーダーが逮捕監禁されるなど苦戦を強いられていた。
日本占領中 そんな状況であったため日本の占領を非常に歓迎した。
日本は、スカルノら独立運動家を解放し義勇軍(後のインドネシア軍)を創設。また、現地に根付いていたイスラム教を容認。
米を増産し飢餓を解消させ、電気、上下水道、道路、橋などのインフラ整備を行い、教育を普及させた。
日本敗戦後 日本降伏の2日後、スカルノが大統領に就任し独立を宣言するも、再植民地化のために戻って来たオランダと衝突。1947年から、上記の義勇軍を中心に民衆も武装して、国民総動員で独立戦争を戦う。
オランダ人の虐殺等により80万人超の死者を出すほどの苦戦を強いられるが、1950年にようやく独立が承認される。
ちなみに、この独立戦争では秘密裏に戦後残留していた日本軍がインドネシア軍に武器を提供していた。
その他 独立後は、徹底抗戦の甲斐あってオランダの圧力からは完全に解放され、戦後も居座りつづけたオランダ人を1957年に追放するなど、完全に主権を回復した。

「大東亜戦争が契機となって、アジアからアフリカまで独立しました。日本にだけ犠牲を払わせてすまないと思っています。そして、大東亜戦争中の日本軍政の特徴は、魂を持ってきてくれたことです。我々と苦楽をともにし、農作業や各種技術の初歩を教えてくれ、軍事訓練まで施してくれました」 インドネシア陸軍大佐ズルキリ・ルビス
「インドネシアの場合」さらに詳しくはこちら




▼フィリピンの場合

戦前の状況 1500年ごろよりスペインの植民地だったが、1898年よりアメリカの植民地に。
スペインの植民地時代は独立を目指す動きが激しく、現地住民と衝突を繰り返していたが、アメリカはそれに学んで衝突を避け、合理的な植民地運営を行った。そのため、現地住民はある程度自由で、教育も施され、優秀な人材は役人に登用されるなど社会活動も認められ、ある程度豊かな生活を送っていた。
独立志向 アメリカ政府は、時期は未定ながらフィリピンの独立を正式に約束していた。
また、一部の独立運動家がアメリカに依存しない完全な独立を目指し活動していた。
日本占領中 以上のような状況だったため、アメリカからの完全な独立を志していた一部の勢力以外は、日本の占領に困惑する者が多かった。
また、インフラも教育もそれなりに充実していたことから、それらを無視した日本の軍政は現地の人々に苦痛を与えた。
また、、有名な「バターン死の行進」をはじめ、アメリカの支援によるゲリラと日本軍との戦いが激化し日本軍の失敗が多数の犠牲者を生んだ。
日本はフィリピン人の政権をつくり、苦し紛れに独立を承認しはしたが、総じて日本の政策はほとんど失敗に終わった。
日本敗戦後 フィリピン人たちは日本の軍政に苦しめられていたため、再度上陸したアメリカ軍を、「解放軍」として歓迎した。
そして、約束通り1946年に独立を許される。
しかし、この独立は、独立戦争により勝ち取った「完全な独立」ではなく、アメリカの力で実現したものでしかなかったため、独立後は天然資源の開発をアメリカに依存するなど、経済全般をアメリカ企業に牛耳られることとなる。
その影響から、独立戦争を戦い抜いて独立した他のアジア諸国と違い、ODAなどの経済援助に依存する状態が現在でも続いている。
その他 戦後の日本において、「日本=悪」の印象を流布するために利用され続けてきたのが、このフィリピンでの日本の失敗の数々である。

ちなみに、当時のフィリピン人には多大な苦痛を与えたにも関わらず、現在のフィリピン人はおおむね親日的である。
それは、自分たちに対する仕打ちとは別に、欧米諸国を相手に行った日本の戦争行動に対し、根本的な畏敬の念や尊敬の念を抱いているためである。
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▼ミャンマー(ビルマ)の場合

戦前の状況 1824年〜85年にかけて、3度の戦争の末にイギリスの植民地に。
イギリスは、同じく植民地であった隣国インドとの同化を図った。それによって、ビルマ人の主な産業であった農業をインド人に奪われることとなり、ビルマ人の多くは職を失って飢餓に苦しむこととなった。
独立志向 もともとイギリス支配に対する不満が高かったところへ、日露戦争の日本勝利により「民族自決」の意識が高まり、イギリスからの「独立」を志す動きが現れていた。
日本占領中 日本は、大東亜戦争開始前に鈴木啓司大佐をビルマへ派遣、アウンサンら活動家との親交を深め、鈴木大佐指導のもとビルマ独立義勇軍を設立していた。
そして、1942年に日本軍とともにイギリスを国内から追い出すことに成功。
この時点では日本とビルマの関係は非常に良好だった。だが、戦争の旗色が悪くなるにつれ大本営の指示がビルマ人に厳しいものになり、信頼厚かった鈴木大佐の帰国命令などが重なって次第に関係が悪化。
最後はインパール作戦の失敗と、その後のビルマ軍の裏切りにより、日本軍が壊滅してしまう。
日本敗戦後 最終的に日本を裏切ることでイギリスと手を結んでしまったビルマは、その後一度はイギリスの一州に併合されかけるが、アウンサンがイギリス本国へおもむき、アトリー首相に直談判することで1948年1月4日に「完全な独立」が承認される。
この要因としては、日本がその設立に深く関与した独立義勇軍の存在が大きく、イギリスは再びビルマを相手に戦争をするよりも、植民地一つを放棄する道を選んだものと見られている。
その他 「真実のビルマの独立宣言は、1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真実のビルマの解放者はアトリー氏とその率いる労働党政府だけではなく、東條大将と大日本帝国政府であった」 バ・モウ 初代ビルマ首相
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▼マレーシア・シンガポール(イギリス領マラヤ)の場合

戦前の状況 1800年代初頭からイギリスの植民地
イギリス人が他の植民地から入植させた華僑(中国人)インド人、と現地のマレー人が住んでいたが、イギリス人は華僑を優遇し、インド人とマレー人は冷遇され、特に現地人のマレー人はまるで動物のように扱われていた。また、イギリスの入植させた華僑の数は、総人口の70%以上にも上り、「華僑の存在」がマレー人たちの最大の脅威ともなっていた。
マレー半島南端のシンガポールには堅固な要塞が築かれ、イギリス軍のアジアにおける軍事拠点だった。
独立志向 特別な独立への運動は起きていなかったが、マレー人もやはり日露戦争の日本勝利に触発されており、日本軍がマレー半島を攻略した「マレー作戦」はマレー人勢力の協力により実現した。
また、現地在住の日本人移民・谷豊というカリスマ的な人物がマレー人を団結させており、マレー人は総じて日本に対して友好的だった。
日本占領中

日本軍は、現地人であるマレー人を優遇し、マレー人の宗教だったイスラム教を容認し、政治団体を結成し、マレー人の教育を強化して人材育成機関を創設するなどの方針をとった。
また、マレー人にとっての最大の問題であった華僑に対しては、総じて日本に反抗的で、マレー作戦の際にも日本軍に抵抗し多くの被害を出していたことから弾圧し、5000人程度の虐殺も敢行。
また、日本の行った日本語の強要をはじめとする日本文化の押しつけは不評で、軍人の暴力も現地の人々の心が離れる要因となった。
日本の占領政策はほとんど失敗に終わったと言える。

日本敗戦後 日本降伏の3週間後にはイギリス軍が再度上陸し、華僑、インド人を含む現地の人々はこれを歓迎したため、すぐに独立戦争にはならず、再度植民地化された。
しかし、日本の占領にあって以降、現地人たちは徐々にイギリスの植民地支配に疑問を持ちはじめ、独立運動が活発になる。
そして、1957年にマレー人を中心とした独立国・マレーシアとして独立を成し遂げる。が、その後、マレー人と華僑との民族対立から、華僑を中心にした「シンガポール」が離脱する形で独立。
マレーシア政府の要人には、日本の設立した人材育成機関出身者が多くいた。
その他 「戦争は誰だって嫌いです。どんな人にも苦痛を与えます。しかし、戦争によって人々に民族としての政治的な意識が芽生えました。それまで政治をまったく考えることはありませんでしたが、民族意識が高まり、政治的な変革を意識するようになりました。独立という意識に目覚めたのです」 ニック・モハマド マレーシア外務省情報センター所長(日本の設立した人材育成機関の一期生)
「英領マラヤ(マレーシア・シンガポール)の場合」さらに詳しくはこちら

以上が、第二次世界大戦・太平洋戦争で、日本が侵攻した国で行った行動とその時代背景のあらましになります。

日本がとった軍事行動や占領政策が「悪」であったかどうかは、ご自身の判断ということになるでしょう。

いずでにしろ、戦後日本人が行ってきたような、ただただ「日本=悪」の図式に当てはめるために、過去の日本の失敗を抜き出し、スポットライトを当てるような卑怯なやり方で歴史を眺めることは、過去の日本人だけではなく、アジアの人々に対する冒涜以外の何ものでもないでしょう。



(C) 第二次世界大戦・太平洋戦争敗戦までの一部始終