哲学とは? 簡単にわかりやすく解説


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哲学とは? 簡単にわかりやすく解説

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→哲学とは? 簡単にわかりやすく解説




哲学とは?

「哲学」とは何なのかということについて、まず簡単に説明してみましょう。


先日、新聞を読んでいて「イチローの野球哲学」という見出しが目に留まりました。

このように時々、新聞やテレビなど身近なところで見かける一方、やや堅苦しくて小難しい印象のある「哲学」ですが、では、この身近なところで見かけた見出しをとっかかりに解説してみることにしましょう。


この「イチローの野球哲学」というタイトルは、イチロー選手が長年野球を追求し、超一流選手になったという事実を前提に、次のように言い換えることが出来ます。


「イチロー選手の、彼ならでは野球に対する深い考え」



ここから「哲学」の指している要素だけを抜き出すと、「彼ならではの…深い考え」ということになります。

つまり、「哲学」とは、「独自の深い考え」のことだと言えます。


――が、まだこれでは不十分です。さらに一歩踏み込んで説明しましょう。

実は、この例ではじめに前提とした、「イチロー選手が野球を追求し」という部分にも「哲学」の要素が含まれています。

具体的に言うと、「追求し」の部分です。

哲学の世界では、この何かを追求すること、探求することをさして、「哲学する」と表現することがよくあります。

つまり、イチロー選手は、哲学的に言えば、長年、野球を「哲学した」ことによって、独自の野球観(=野球哲学)を持つに至った、ということになります。


「哲学」とは要するに、何かを深く追求した結果得られた独自の「結論」と、その「結論」を求める「行為」のことなのです。



学問としての「哲学」について

では次に、学問としての「哲学」がどういうものであるかを簡単に見てみましょう。


上記の例では、イチロー選手の「哲学する対象」は野球でした。

では、野球を哲学することも「哲学」という学問に含まれるのかというと、含まれません。

このイチロー選手の例でいう「哲学」と、学問の「哲学」とには決定的な違いがあるのです。では次にその違いを説明しましょう。


結論からいうと、学問としての「哲学」が追求する(哲学する)対象は、「世界」や「人間」、「神」、「社会」、「善悪」といった、万人に共通の、普遍的・根源的なものなのです。

すなわち、世界とはどのようにできているのか? とか、人間とは何か? 神は存在するのか? 社会はどうあるべきか? 何が善で、何が悪なのか? といったような万人に共通する問題です。

野球とはどんなものか? というのは、万人に共通の命題ではないので、学問としての「哲学」とはいえないわけです。

(ただし、あくまで学問としての「哲学」には含まれないというだけで、万人に共通せずとも野球を追求する行為は立派に「哲学する」行為であり、イチロー選手の野球観を「哲学」と呼ぶことに語弊はありません)


さて、そもそも「哲学」という学問はその昔、ある人たちが、「この我々の住む世界(自然)はどのようにできているのか?」という疑問に直面したことから始まったと言われています。(自然哲学)

「哲学」以前の世界では、この「世界・自然とは何か?」という問題については、不合理な物語や伝説からなる「神話」によって語られ、人々はそれを素直に受け入れて納得していました。

が、やがてその状況に満足できず、より納得の行く論理的な答えを探求し、自分の頭で考え、それなりの答えを提示した人たちが現れたのです。

つまり「哲学者」です。


そして時代を経るに従って数多の哲学者が現れ、次第に「哲学する」対象が「世界・自然」だけでなくさまざまな事物に拡大していき、それらの体系を学ぶ学問分野に発展していきました。

簡単にその経緯を説明するとするならば、「世界・自然」→「神」→「人間」→「社会」の順で概ね展開し、さらに科学の発展や社会の多様化に伴いそれらの問題が細分化し複雑化して現代に至るというわけです。


ですから、歴史に登場する哲学者たちには、それぞれが追い求めた(哲学した)「対象」が必ずあります。

「哲学」という学問は、哲学者たちによるそれぞれの「結論」を学び、同時に自分自身も「哲学する」学問だと言えます。


そのような観点からすると、「哲学とはなんなのか?」ということを考えはじめたあなたは、すでに「哲学しはじめた」のだと言えます。


「哲学」を学ぶことについて

「哲学」は、学ぼうとして挫折した人の多い学問だといえ、また、一般には敷居が高く、取っ付きにくい印象があります。

その原因はひとえにその言葉遣いや論理、体系の難解さにあると言えるでしょう。


そんな「哲学」の、おすすめの学び方は、年代順にざっと広く浅く「哲学」の歴史全体を眺め渡し、人間の知的な営為の流れを掴むことです。

そうすることによって、過去に人間がどのようなことに悩み考えて現在に至るのか、自分自身の考え方や感覚の源流がどこにあるのかなどを知り、自分はどのような考えに親しみを覚え、影響されやすく、どのような盲点を作りやすいのかなど、「自分」を知ることを愉しんで頂ければよろしいかと存じます。

そうすることで、ご自分の「哲学」が練られることになります。

「哲学」とは、一部の学者を除いて、格式張った学問や、他人との論争の道具などと捉えて勉強するものではなく、極めて個人的な嗜みとして愉しむべきものなのです。


「哲学」の由来は?

「哲学」という言葉は、「知を愛する」という意味のギリシャ語由来のフィロソフィー(philosophy)の日本語訳で、明治時代に西周(にしあまね)という思想家によって翻訳された言葉です。

はじめは「希哲学(きてつがく)」という訳があてられていましたが、やがて「哲学」に落ち着きました。

哲学の「哲」という字は、「知」とほぼ同義ですが、「知」よりもさらに「明晰に知る」という意味があります。

「希」の訓読みは「こいねがう(切望する)」ですから、当初「希哲学」と名付けられたことからも分かるように、「哲学」とは、明晰な知を切望する・希求する学問であるということができます。


ちなみに、日本の哲学・思想は、明治時代に「哲学」が輸入されるまでは主に中国から輸入された東洋思想をベースに独自の発展を見、明治以降、そこへ流入した「西洋哲学」がミックスして現代に至ります。

ですから、日本ではもともと、「哲学」といえば主にギリシャ発祥の「西洋哲学」のことをさしていましたが、現在では「東洋思想」のことを「東洋哲学」と称するなど、ほぼ違いがなくなっています。




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