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哲学とは? 簡単にわかりやすく解説

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フリードリッヒ・シェリング
Friedrich Wilhelm Joseph von Schelling

ドイツの哲学者/観念論
1775〜1854年
主著:『人間的自由の本質』



哲学の主な対象

自然・神・人間


人物
1775年シュツットガルト近郊のレオンベルクで生まれる。父親はルター派の神学者であった。

10代でギリシャ語、ラテン語、ヘブライ語を習得するほどやはり彼も早くから才覚を表していた。

そのため、規定より5歳も若くしてテュービンゲン神学校に入学を許可され、ここで、彼より5歳年上のヘーゲルとヘルダーリン(詩人)と知己を得る。

また、哲学に転向し、フィヒテやスピノザの思想に傾倒する。

1796年、「世界霊について」を著述し、ゲーテに認められイエーナ大学の助教授に就任。

1799年にはフィヒテが退官し、シェリングが正教授になり、1800年には、友人ヘーゲルをイエーナ大学で教鞭をとれるように推挙している。

1802年、親しくしていたシュレーゲル夫妻の妻カロリーナと恋愛事件を起こす。翌年、離婚したカロリーナとヴュルツブルクで結婚し、同大学に移籍する。

1806年には、ミュンヘンに移り、バイエルン科学アカデミー総裁となったが、1807年にヘーゲルが刊行した「精神現象学」でシェリングの同一哲学が批判され、神学校から続いていた二人の友情は決裂し、以来最大の論敵となるのである。

1809年、シェリングの思想の大きな転換点となった「人間的自由の本質」を執筆中、療養先で妻カロリーナが死ぬが、1813年、カロリーナの友人と再婚する。

1820年には、エアランゲン大学の哲学教授に就任し、1827年にミュンヘン大学の教授になる。大学で講義を行うかたわら、バイエルン王国王太子マキシミリアンの家庭教師となり、国政にも参画する等、その功績を評価され、貴族に叙された。

1841年、ヘーゲル亡き後のベルリン大学の哲学教授に就任するが、ヘーゲル主義哲学の広まっていたベルリンの思想界では、シェリングは影響力を与えられず、彼の講義には聴講者がほとんどいなかったため、46年からは事実上の引退生活を余儀なくされたという。

1854年、療養先のスイスにて、病を悪化させ家族に見守られながら亡くなった。
シェリングの後期の思想が人々に評価されたのは、それから100年後のことだった。








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