東京裁判とは? A級戦犯は何の罪で裁かれたのか? わかりやすく解説



▼1400年代まで
ヨーロッパの世界侵略開始以前まとめ

▼1400~1600年代前半
スペインとポルトガルの大航海時代/信長 秀吉 家康
 -コロンブスは何をやったのか
 -アジア初の植民地・フィリピン

▼1600年代中盤
オランダの台頭/江戸幕府、鎖国政策へ
 -鎖国とは?理由は?

▼1600年代後半~1700年代
イギリスとフランスの時代/江戸時代の平和

▼1800年代
アヘン戦争/黒船が来航、明治維新へ
 -明治維新とは

▼1894~1895年
日清戦争

▼1904~1905年
日露戦争
 -韓国併合(日韓併合)とは
 -第一次世界大戦とは

▼1941〜1945年
第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)
 -太平洋戦争 年表
 -日本の「アジア侵略」の実態
 -大東亜共栄圏とは・八紘一宇とは
 -大東亜戦争と太平洋戦争の違い・名称について
 -東京裁判とは、A級戦犯は何の罪で裁かれたのか
 -子供でもわかる「日本の戦争の歴史」
 -慰安婦問題・強制連行の実態について
 -戦後70年談話(安倍談話)とは
 -ミッドウェー海戦とは







 

▶1938〜1945年
⑧第二次世界大戦(太平洋戦争・大東亜戦争)





▼「東京裁判」とは
「東京裁判」とは、日本が第二次世界大戦・太平洋戦争に敗れた年の翌年(1946年)5月から1948年11月までの約2年半に渡り開かれた裁判で、正式名称を
「極東国際軍事裁判」といい、第二次世界大戦・太平洋戦争に敗れた日本の戦争指導者らを、戦勝国である連合国が、国際法を無視して不当に裁いた裁判です。

この「裁判」により「A級戦犯」として日本人7名が死刑となっています。


そもそも裁判とは、ある一定の法律に基づいて、その法律を違反した行為についての審議を行い、その法律に従って審判を下すものです。

法律に書かれていないことについて裁く権利は誰にもありませんし、裁かれる義務も誰にもなく、「法律がないところに犯罪はなく、法律がないところに刑罰はない」というのが法治主義の原則なのです。

しかし、「東京裁判」ではそのような原則は無視され、国際法に存在しない「平和に対する罪」「人道に反する罪」「戦争犯罪」などという罪を一方的に着せられた日本が、日本を裁くためだけに作られた「裁判所条例(チャーター)」という特例によって裁かれるという、前代未聞の不正行為が行われました。

要するに、この「東京裁判」は、「裁判」などとは呼ばれていますが、はじめから連合国側は日本の有罪を決定していて審議などするつもりはなく、そのようにあらかじめ日本側を有罪へ導くための「仕掛け」を用意して行われたものなのです。

ですから、この「裁判」の判事(裁判官)11名は、全員が戦勝国(アメリカ・イギリス・オランダ・フランス・ソ連・中華民国・オーストラリア・ニュージーランド・カナダ・インド・フィリピン)から派遣されましたし、また当然のことながら、明確な国際法違反である、アメリカ軍による東京大空襲や原爆投下なのでの民間人の虐殺行為に対しては、一切の責任を追及しないという不公平が許されたのです。

つまり、この「東京裁判」というものは、公明正大な法律のもとに行われた裁判などでは決してなく、単に日本の国内外に対して「連合国が絶対の正義であり、日本は絶対の悪である」ということを示し、歴史に刻むためのパフォーマンスだったわけです。


ちなみに、「A級戦犯」の処刑からわずか2年半後に、「東京裁判」の実質的な主催者であったダグラス・マッカーサー元帥は、アメリカ上院軍事外交委員会の場において「東京裁判」は間違いであったことを正式に表明しており、その発言の中で次のように発言しています。

「……従って彼ら(日本人)が戦争に入った目的は、主として自衛のために余儀なくされたものである(Their ourpose, therefore, in going to war was largely dictated by security,)」

このように、日本の占領政策の責任者であるマッカーサー元帥でさえ「東京裁判」の不当性を自白しており、また、日本の行った戦争が「自尊自衛のための戦争」であっとことを認めています。

スポンサーリンク


▼「東京裁判」で、唯一日本側の完全無罪を主張したパール判事
上述のように「東京裁判」を裁くために、戦勝国側のみから派遣された11名の判事(裁判官)でしたが、そのうち国際法の専門家はたった一人、インドから派遣されたラダ・ビノード・パール判事のみでした。(他の判事たちは各国の法律の専門家ではありましたが、国際法には精通していませんでした)

そして、最終的に、このパール判事だけが日本側全員の無罪を主張し判決を下しています。(残りの10名は全員が有罪判決を下しました)

その「判決書」の抜粋は次のようなものになります。

「戦勝国が敗戦国の指導者たちを捕らえて、自分たちに対して戦争をしたことは犯罪であると称し、彼らを処刑しようとするのは、歴史の針を数世紀逆戻りさせる非文明的行為である」

「この裁判は文明国の法律に含まれる貴い諸原則を完全に無視した不法行為である」

「ただ勝者であるという理由だけで、敗者を裁くことはできない」

「もし非戦闘員の生命財産の無差別破壊というものが、いまだに戦争において違法であるならば、太平洋戦争においてはこの原子爆弾使用の決定が、第一次世界大戦中におけるドイツ皇帝の(無差別殺人の)指令、およぴ第二次世界大戦中におけるナチス指導者たちの指令に近似した唯一のものである」

「復讐の欲望を満たすために、たんに法律的な手続きを踏んだにすぎないというようなやり方は、国際正義の観念とはおよそ縁遠い。こんな儀式化された復讐は、瞬時の満足感を得るだけのものであって、究極的には後悔をともなうことは必然である」

――『パール判決書』より


また、パール判事は1952年に広島弁護士会で行った演説で次のように語っています。

一九五〇年のイギリスの国際事情調査局の発表によると、東京裁判は結論だけで、理由も証拠もないと書いてある。(※ナチスの「戦争犯罪」を裁いた)ニュルンベルグにおいては、裁判が終わって三ヶ月後に裁判の全貌を明らかにし、判決理由書とその内容を発表した。しかるに東京裁判は判決が終わって四年になるのに、その発表がない。他の判事は全部有罪と決定し、わたくし一人は無罪と判定した。わたくしはその無罪理由と証拠を微細に説明した。しかるに他の判事らは、有罪の理由も証拠もなんら明確にしていないのである。おそらく明確にできないのではないか。だから東京裁判の判決の全文はいまだに発表されていない。これでは感情によって裁いたといわれてもなんら抗弁できまい。要するに彼らは、日本が侵略戦争を行ったということを、歴史にとどめることによって、自己のアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の過去十八年間のいっさいを罪悪であると烙印することが目的であったに違いない。

――田中正明著『平和の宣言』より

(※)…引用者注


このように、「東京裁判」とは、第二次世界大戦・太平洋戦争における「正義と悪」の構図を歴史に残すことを目的として行われただけでなく、当サイトで紹介しているような、過去にアメリカやイギリスをはじめとする欧米諸国が行ってきた植民地争奪戦争や侵略戦争を正当化するという意図も隠されていたのです。


▼「東京裁判」の、戦後日本への影響
このようにして日本は、不当に「悪」の烙印を押され、歴史に刻まれることになったわけです。

そして、日本国内では、アメリカの占領政策の一環として「日本は悪いことをした」という印象を日本国民の頭に刷り込むべく、「プレス・コード」というテレビや新聞をはじめとするメディアへの規制を敷き、教育現場でも「日本は悪いことをした」「アジアの国々に迷惑をかけた」という、「東京裁判」に準拠した情報だけが教えられるという事態に至りました。

未だにアメリカの占領政策の影響下にあり、「日本は悪いことをした」と頑なにに考えている日本人は未だに多くいますが、そんな人たちが信じている「過去の日本の悪事」の情報源は、すべてこの「東京裁判」にあったといえます。

ちなみに、日本人が「むかし日本は悪いことをした、アジアの国々に迷惑をかけた」と考える歴史観を「自虐史観」と呼びますが、この「自虐史観」の別名を「東京裁判史観」と呼ぶのは、上述のような実態があるためなのです。




(C) 第二次世界大戦・太平洋戦争敗戦までの一部始終