第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパの戦勝国は世界秩序を元に戻そうと、パリで講和会議を開いた。それぞれの国にはそれぞれの思惑があったが、一致していたのは、日本とアメリカからの申し入れには耳を傾けよう、という姿勢だった。 ウィルソン大統領は、世界秩序回復のための一四カ条を手に、パリに乗り込んだ。彼がまず唱えたのは、国際法と国際秩序の確立であった。日本の代表団は、ウィルソンが出せなかった一五番目の提案を持って講和会議に出席した。「わが大日本帝国は、国際連盟の盟約として、人種平等の原則が固守されるべきことを、ここに提案する」。これこそが、いわゆる一五番目の提案であった。(中略)人種平等の実現を目指していた日本と、そうでなかったウィルソン。その差がここにでたと言ってもよいだろう。 もし日本のこの一五番目の提案が実現されていれば、アメリカ黒人にとって、おもしろいパラドックスが生じていたかもしれない。(中略)アメリカ黒人がほかの連盟の人間と同じように、民主的に扱われるためには、アメリカ以外の外国に住まねばならなかったはずである。そんなパラドックスが生じていたかもしれないのだ。(中略)「おそらく世界でもっとも有望な、有色人種の期待の星」、それが日本であるという確信。日本はすべての有色人種に利益をもたらすという確信があったのだ。それは、たとえひとつでも、有色人種の国家が世界の列強の仲間入りをすれば、あらゆる有色人種の扱いが根本的に変わるだろうという、彼の強い信念によるものだった。 (中略)全米黒人新聞協会(NAAPA)は、次のようなコメントを発表した。「われわれ黒人は講和会議の席上で、”人種問題”について激しい議論を戦わせている日本に、最大の敬意を払うものである」。 「全米一二〇〇万人の黒人が息をのんで、会議の成り行きを見守っている」。 ――レジナルド・カーニー『20世紀の日本人ーーアメリカ黒人の日本人観1900―1945』 |
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