![]() 農村の娘に毒牙 巧みに誘拐しては売り飛ばす 恐るべき全貌判明 [朝日新聞 南鮮版 1939年3月30日] 既報=京城西大門署で検挙した娘誘拐事件はその後、首魁 金オウ萬ならびに金方に監禁されていた十二名の娘につき取り調べを進めているが、取り調べの進行につれて事件はますます拡大し北支、満州方面に売り飛ばされた娘は百人を突破すると見られるに至り、府内各署では最近相次ぐ誘拐事件と照合して事件を重大視し、周旋業者らも厳重監視するとともに同様の犯罪摘発に血眼となっているが、たまたま事件によって描出された農村窮乏と無智に係官も今更唖然となり、社会問題としても一般に大きな示唆を与えている 被害者の大部分は今回に限らず大多数が南鮮地方の農村の娘で、主として養女に貰受けると甘言を弄し委任状を偽造し、中には無料で連れ出すなどの手口によって無法な人身売買が行われているもので、最近この種の行為を職業とするもの激増している事実も判明するに至り、取調当局では各道と連絡、これが対策を講ずることとなった ![]() 貴婦人装う誘拐魔 男女四名を手下に使い 全鮮から小娘二十八名を誘拐 [朝日新聞 南鮮版 1938年3月1日] 京城府内の周旋屋を転々盥回しに誘拐した娘の周旋料を稼いでいた魔の手が鐘路署に検挙され府内の周旋業者を続々召還取調べ中であるが、首魁のケイ尚北道寿城面、李権植妻 金福順(35)で、同人は夫を捨てて京城に出奔、美貌の同女は常に貴婦人を装って情夫大邱南山町 李鎭玉(44)ほか四名の男女を使って昭和十年十二月三十一日大邱駅の待合室から連れ出した大邱生れ李斗順(当時17歳)ほか全鮮にわたり小娘二十八名を誘拐 首魁自ら京城府内の周旋屋に出没、小娘を盥回しに転々して前記李斗順ら最初十五円で黄金町某に売られた身代金は二十四軒目の最後の周旋屋で百五十円に売られていた ![]() 誘拐犯罪の温床 周旋業者にメス 京城で一斉調査行う [朝日新聞 南鮮版 1939年3月31日] 最近相ついで検挙された京城府内の誘拐事件に異常なショックを受けた各署では悪人事周旋業者を犯罪の巣と睨んで、それらの清掃を期し糾明のメスを加えているが、一般の善良な業者もややもすれば金銭的な誘惑から犯罪と知りつつ人身売買の仲介を行う傾向があるので、府内の周旋業者に出頭を求め実情調査を開始し、府内各署は各種人事業者で賑わっている 警察当局では業者の自粛を要求するとともに弊害を重視して今後のこの種の営業申請に対しては許可せず、いかがわしいものに対しては営業停止の厳罰をもって臨むこととなった 右につき某署長は語る 人事に関する商売なので暗々裡に事が運ばれる場合が多く、従って犯罪も多いのだが、常に個人の一身上の問題なので、われわれとしても手を着け難い場合が多い、一万円国防献金するから営業を許可してくれというのが飛び出したが、これから見ても如何にぼろい商売かということもわかる、この際だから善いのも悪いのも徹底的に洗って見るわけだ ![]() 婦女誘拐の一味 ついに送局さる 元釜山府臨時雇らの首魁 [朝日新聞 南鮮版 1939年11月21日] 官印偽造、公文書を偽造行使し多数の婦女子を誘拐した元釜山府臨時雇釜山府大倉町四丁目五十九番地 金東潤(27)ほか七十七名に係る公印偽造、公文書偽造公使詐欺誘拐事件は釜山署で取調中のところ今回取調終了、二十日一件記録とともに身柄を送局したが拘束者は金東潤ほか九名、起訴中止六名、不起訴五十五名である 被害夫人は二十八名に上り、このほか南洋方面に誘拐されたものも多数ある |
このように、当時の朝鮮半島では、朝鮮人の売春婦周旋業者が朝鮮人の若い女性を誘拐してはどこかへ売り飛ばすという事件が頻発していました。
そして、それらの悪徳業者が日本の官憲である警察に逮捕され処罰されていたというのが事実のようです。
どうやら、「強制連行」の多くは朝鮮人の悪徳業者により行われていたようなのです。
つまり、現在の韓国人は自分たちの祖先である朝鮮人が行った「強制連行」について、日本に謝罪と賠償を求めているということです。
繰り返しになりますが、それらの「強制連行」を主導していたのが日本の官憲である事実を示す資料は何も見つかっていません。
また、このような資料もあります。
以下は、韓国政府が以前まで「従軍慰安婦が存在していたことを示す証拠資料」としてホームページで公開していた(現在は都合が悪くなったためHPごと閉鎖されている)、「慰安婦募集」の広告です。
(左が「京城日報 1944年7月26日の広告」、
右が「朝鮮総督府機関紙 「毎日日報」 1944年10月27日の広告)
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このようにわざわざ広告を打って募集しているのは、日本の官憲による「強制連行」がなかったことを裏付ける証拠です。(それに気付いたからこそ韓国政府は前述のホームページを閉鎖したものと思われます)
「強制連行」することで慰安婦を調達していたのであれば、このような募集広告は必要ないはずです。
また、注目すべきは慰安婦たちの給料についてです。
左の広告には、
「月収 300円以上(前借3000円まで可)」
とあります。
月収300円ということは、年収は3600円になります。
当時の陸軍大将(陸軍の最高位)の年収が6600円、二等兵の年収が72円だったといいますから、慰安婦がどれほどの好待遇だったかが分かります。
これにより、「慰安婦」が「性奴隷」などではなかったことが分ります。
「慰安婦問題」を反日的な日本人が捏造した経緯はこちら
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