スペインのフィリピン征服・アジア初欧米の植民地へ
▼1400〜1600年代前半
②スペイン・ポルトガルの大航海時代/信長 秀吉 家康
▼スペインのフィリピン征服・アジア初欧米の植民地へ
アジアではじめて欧米の植民地になったフィリピンは、スペインに植民地化される以前はいくつかの王国が支配する島国でした。
彼らはもともと仏教やヒンドゥー教の影響を受けていましたが、1300年代後半になるとイスラム商人によってイスラム教が伝えられ、それ以後イスラム教の影響を強く受けるようになっていました。
そんなフィリピンへはじめてやってきたヨーロッパのキリスト教勢力は、世界一周航海を目指して太平洋を横断してきたスペインのフェルディナンド・マゼラン一行でした。(1521年)
マゼランたちは、海を渡って突然訪れたにもかかわらず、いきなりキリスト教への改宗と、スペイン王国への服従、それから貢ぎ物を要求しました。
その要求に従い、セブ王をはじめとする複数の部族長を服従させることに成功しますが、イスラム教徒のラブ=ラブという部族長が激しく抵抗し、戦争になります。(マクタン島の戦い)
結局、この戦いによりマゼラン自身が殺されてしまった一行は、やむなく撤退を余儀なくされます。

しかし、スペイン人たちはその後、1529年に、サラゴサ条約という身勝手な条約をポルトガルとの間で締結した際に、勝手にフィリピン諸島の領有を宣言し、ポルトガルもこれを認めてしまいます。
そして、1543年に再びスペイン船団がこの地域にやってきます。
このときに、当時スペインの皇太子だったフェリペ(のちのフェリペ2世)にちなんでフェリペナス諸島という名前を与えます。
これがのちにフィリピンという国名の由来になります。
それから、そのころアメリカ大陸でメキシコを植民地化したスペインは、メキシコから太平洋を横断して頻繁にフィリピン諸島へやってくるようになり、1565年に再び上陸した遠征隊がはじめてセブ島に植民基地を設置します。
そのような行為にフィリピンの原住民たちは必死の抵抗を試み、またそこにポルトガルの勢力がやってきたことでスペインの植民地化はすぐには完了しませんでしたが、1570年にマニラの原住民を服従させると、フィリピン諸島はほぼスペインの植民地として制圧されてしまったのでした。
こうしてアジアではじめての植民地が築かれたのです。
→③オランダの台頭/江戸幕府、鎖国政策へ